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高知県
こんにちは。
高知県宿毛市沖の島の島民で構成している地域団体組織の「沖の島集落活動センター妹背家」の事務局の中垣です。宿毛市地域おこし協力隊の離島振興担当でもあります。
みんなの観光協会さんで記事を書かせていただくのは今回で六回目になります。
今までの記事は以下の通りです。まだ読んだことが無い方はぜひ読んでくださいね!
第一回:【島旅】高知県宿毛市の沖の島へ行こう
第二回:【四国百名山】高知県宿毛市沖の島の妹背山を登ろう【しま山100選】
第三回:【宿毛市沖の島】わざわざ高知の離島でキャンプをしよう!
第四回:高知県の離島でサイクリング♪宿毛市沖の島へ!
第五回:宿毛市の冬の風物詩、だるま夕日をご覧あれ!
沖の島から更に西側に位置している無人島。
無人島ではありますが、行政上は姫島を含む裸島・二並島・沖の島・鵜来島・三ノ瀬島・水島の7島で宿毛市沖の島町としています。この姫島、沖の島の西側から見ることができて島民からは見慣れた馴染み深い島なんです。
僕も沖の島から見る姫島の景色が大好きです。
この姫島ですが、たくさんのエピソードがあるんですよ。
これからそのお話をいくつかご紹介しますね。
ぱっと見た感じ、女性が横になって寝ているかのように見えます。
…よく見てみると男性特有の喉仏があるようにも見えるのですが…。
和銅4年(711)河辺宮人にうたわれて万葉集に記載されていると言われています。
妹な名は 千代に流れむ 姫島の 小松が末に 苔むすまでに
これが事実なら沖の島は1310年の長い長い歴史があることになりますね。
姫島には古より伝説が言い伝えられています。
以下に記しますね。
母島のある男が、京に上がって暮らすうちに、玉姫という輝く玉のように美しい姫と恋仲になりました。やがて男は母島に帰るようになりました。しかし、玉姫もまた男への愛情を断ち切れず、ついには同伴して帰ることになりました。しかし、男には故郷で帰りを待ちわびる妻がいました。男は迷いに迷った末、母島近くになって初めてその事を打ち明けました。しかし、ここまで来てしまってはどうすることもできず泣き悲しみました。そんな玉姫に、男は、早々に迎えに来ると約束し、無人の島に玉姫一人を残して一人故郷に帰って行きました。母島に帰った男は、島に残した玉姫を案じ心は焦りましたが、妻や親戚等により迎えに行く計画を壊され、3日、4日と日は過ぎてしまいましたが、意を決した彼は周囲の反対を押し切って玉姫の待つ無人島に船を漕ぎ寄せました。しかし、彼が到着した頃にはすでに遅く、哀れにも玉姫は荒れ狂う磯辺に身を乗り出し、愛しい人の名を呼び続けるかのように、母島の方を眺めながら息絶えていました。その磯辺から何度彼の名を呼んだことでしょう。その後、玉姫の亡くなった島を姫の島、姫島と呼ぶようになりました。
かつて室町時代に沖の島は土佐藩と伊予藩によって争われ、明治時代に高知県に統一されるまで長い間、島内で領土が分断されていました。
それは陸地だけではなく、海上も同様に別れていました。むしろ漁業権の争いの面が強かったのかもしれませんね。その国境の境目にしたのがこの姫島なのです。土佐藩と伊予藩で主張は食い違っていましたが、姫島の頭辺りの「きれとう」「きれと」と呼ばれる場所を目印にしていたようです。境目は変わっていますが、姫島を目印に漁場を分けているのは鵜来島の漁師・渡船と沖の島の漁師・渡船の間で現代にも引き継がれて行われています。
沖の島を舞台に1968年に制作された孤島の太陽の作中の場面でもありましたが、姫島はかつてメジロの特産地でもあったようです。
沖の島は四国本土からイノシシが泳いで渡って大繁殖していますが、姫島も同様で泳いで渡る姿がいくつも目撃されています。しかしながら姫島は鳥獣特別保護地区に指定されているのでイノシシが大繁殖してもはやイノシシの島と言えるのかもしれません(笑)
姫島には色々なエピソードがありますが、なによりも見た目が美しいです。
沖の島の西側の海岸沿いから姫島を眺めていると心が穏やかになって癒されます。
【国見ヶ碆と呼ばれる大岩から見た姫島】
【白岩岬公園キャンプ場から見た姫島】
【古屋野寺の下港湾から見た姫島】
【母島から見た姫島】
【母島、古屋野間の市道から見た姫島】
【白岩岬公園キャンプ場展望台から見た姫島】
【母島港湾から見た姫島】
【母島港湾から見た姫島】
【白岩岬公園キャンプ場付近の県道から見た姫島】
どうでしょうか…?
沖の島から見る姫島。非常に美しいですよね!
皆さんも沖の島に来て、ぜひとも生で見てみてくださいね!
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