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金比羅神社奉納模型和船

記事投稿者 薄田邦雅

所在地: 新潟県新潟市

東京の大学で地域活性化を学び、Uターンで新潟に。SDGsを新潟に広める会を立ち上げ、地方創生で地元のお祭りに参加。新潟の可能性を芸術、文化にあると感じており、日々勉強中。新潟は食、酒、祭りと全国に誇れるコンテンツがたくさんあります。県民性はおとなしめで真面目な性格だが、何事にも真剣に向き合い魅力ある新潟を創り上げております。そんな新潟を発信してまいります。冬は雪でスキーができたり、夏はお祭り花火等、数多くのイベントが楽しめます。是非新潟に足をお運びください。

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新潟古町に金比羅神社がある。そこに奉納されているのは北前船を作る前に作った模型である。国の重要有形民俗文化財に昭和40年6月に指定された。

北前船は、江戸時代から明治年代まで、いわゆる西廻り航路によって北陸~関西~北海道を往復運航した和船である。すなわち北陸奥羽の米を大阪に廻送し、逆に上方の酒、塩、砂糖、雑貨類や北陸の莚、縄などを蝦夷地に供給し、帰路は北海の海産物、〆粕類を仕入れて上方に運んで売り捌いた船である。

航海は年一回が原則で、早春2、3月に大阪に出て積荷をし、3,4月に大阪出帆、瀬戸内を寄港しながら日本海を廻り、蝦夷地に直行した。彼地での取引を済ませた後、8,9月の北風を利用して南下し、二百十日までに瀬戸内に入り、10月末頃大阪に帰航して船囲い、船手仕舞を終え、暮れまでに郷里に帰った。

当神社の奉納和船28船についてみると、その墨書銘から、奉納年は嘉永5年(1852)が最も古く、明治24年(1891)が最も新しい。これは幕末の北前船最盛期に始まり、明治中期以降西洋型船や蒸気船の出現により後を絶った事実を示している。奉納者は船主、船頭、沖船頭等で、各個で、また連名で奉納している。願意は海上安全、早上下の祈願であり、また成就の際の感謝奉賽であった。

中に当地新潟の船問屋津軽屋高橋家の住友丸、同新谷家の亀運丸、同小沢家の幸福丸、同能登屋片田家の竜神丸などの手作りがあり、北前船と新潟湊との栄枯盛衰の歴史を物語っている。

 

この記事を書いた投稿者

東京の大学で地域活性化を学び、Uターンで新潟に。SDGsを新潟に広める会を立ち上げ、地方創生で地元のお祭りに参加。新潟の可能性を芸術、文化にあると感じており、日々勉強中。新潟は食、酒、祭りと全国に誇れるコンテンツがたくさんあります。県民性はおとなしめで真面目な性格だが、何事にも真剣に向き合い魅力ある新潟を創り上げております。そんな新潟を発信してまいります。冬は雪でスキーができたり、夏はお祭り花火等、数多くのイベントが楽しめます。是非新潟に足をお運びください。

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